選択の自由
2月に買ったばかりのXperia Z4タブレット専用キーボード「bkb50」を修理に出した。
突如充電してもタブレットとbluetoothで繋がらなくなり、うんともすんとも言わなくなった。
結局、保証期間ということのもあり、ヨドバシカメラ経由で修理に出すことに。
今日の話は、タブレットを修理に出す間に考えた作業環境と携帯性、その2つから
もたらされる「選択の自由」の重要性について語ってみようと思う。
1.作業環境の重要性
なんだか小難しいタイトルではあるけど、言いたいことは「家じゃ集中できないよね」っていう話。
厳密にいうと、リラックスできる場所と集中できる場所は違うということだ。
僕の場合リラックスできるところは家だ。
もっといえば、他人の目が気にならず好きなことができる、静かなところだ。
人の目が気にならないということは、人に配慮する必要がないということだ。
もちろん、全く配慮しないということではない。
僕は東京という都会の普通の賃貸アパートで暮らしているが、
配慮といっても多少隣や上下の住民に気を使う程度で、そんなものは家の外に比べれば微々たるものだ。
反対に、集中できる場所は他人の目があってある程度ある静かなところ。
例えば、カフェなんかそのもっともたるところだし、図書館とか公園でも良い。
静かすぎるのもダメで、ある程度の環境音があったほうが良い。
人の話し声、グラスや食器の当たる音等は、始めは気になっても作業がノッてくると特に気にならなくなってくる。
キーボードを修理している間は外で記事を書けないので、
家にあるデスクトップで書くしかなかった。
でも、家というのがくせもので、大抵だらけてしまう。
僕はすぐに寝転がる癖があるので、寝転がりながら布団から手を伸ばしてキーボードを打つというダメ人間スタイルで書く。
まぁ、こんなスタイルで集中が続くわけでもなく、すぐに動画サイトを閲覧したり、
あるいは書くのをやめて寝てしまう。
それなら何か集中してやりたいことは外でやろうということなる。
でも、すべてのことが外でできるわけではないよね。
そこで重要になるのが2つ目の携帯性だ。
2.携帯性
僕はタブレットとbluetoothキーボードを買って、作業環境が一変した。
そしてそれをキーボードの修理で一時的に失って、改めて感じた。
タブレットのありがたみを感じたのは、とりあえずどこでもカタカタとブログ記事が書けるということだ。
会社帰りにまだ元気があるから、昼休みに一人の時間がとれたから、休日の美術館併設のミュージアムカフェで。
いろいろシチュエーションはあるが、座れる環境さえあればどこでも書けるようになったのだ。
僕はこの事実に密かに、人知れず感動している。
ノマドライフってこういうことかと感慨に耽っている。
好きなときに好きなことができる。
これって普段あまり意識しないことだけどすごく大事なことだ。
僕は特に気分やな性格なので、日やその時の気分によって環境を変えたい。
天気が良ければ外で仕事がしたいし、雨が降ったら雨音を聞きながらしっとりと過ごしたい。
それを可能にするのが、絵ならスケッチブックだし、ブログならタブレット(ノートPC)ということだ。
僕のXperia Z4タブレットはキーボードを合わせても772gしかない。
鞄に気軽に入れて持ち運べるわけだ。
3.まとめ
好きなときに好きなことをする。
これが僕の人生の目標だし、指針でもある。
その一歩目になったのが、タブレット+キーボードという、いわばノートPCの存在だ。
これによって作業環境を好きに選べるようになった。
今やお金を出せばその「選択の自由」を手にすることができる。
僕は「選択の自由」の良さを知ってしまったので、もうそれを手放したくなくなってしまった。
もし、少しでも「選択の自由」に興味があって、そして実現するだけの少しのお金があるなら、
タブレット、もしくはノートPCを持つことをおすすめします。
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